東巴はどのように選ばれるのでしょう。なりたければ誰にでもなれるのですか。また、死の儀式などはどのように行われるのでしょう。 / アニミズムでは、動物の魂=人間の魂という考え方が成り立つと思うのですが、人間が死んだときにも動物の場合と同じような儀式を行ったのでしょうか。また、その際には人間の魂はどこにゆくのでしょう。
ぼくも勉強し始めたところなので正確な知識ではありませんが、東巴は基本的に世襲の宗教的職能者であったようです。祭署の神話にも登場した、「東巴の祖神」丁巴什羅の存在によってもそのことが分かります。東巴文字の読解、経典の暗誦など、かなりの特殊技術を要しますので、まさに一子相伝のなかで知と技が受け継がれてきたのです。いわゆる「解放」後から1980年代に至るまでは、共産党政府や文化大革命のなかで東巴文化も破壊されてきましたが、その後復興の努力が進みました。現在では、重要な観光資源のひとつでもあるとして東巴養成の学校も作られ、継承・発展の方途が模索されています。
ちなみに葬送儀礼の核は「指路」で、死者と生者、現世との関わりを慎重に断ち、冥界へ送り届ける儀礼です。納西族だけでなく、雲南周辺の少数民族には、この「指路経」を有するものが少なくありません。ここで指し示される冥界とは、穢れも邪鬼も運ばれてゆく根源的な世界で、ちょうど古代日本の「根国」「黄泉国」に似ています(これらも罪や穢れが祓われてゆく場所であるだけでなく、例えばスサノオにとっては、世界に壊滅的なダメージを与える勢いで泣き叫ぶほどにゆきたい「妣(亡母)の国」でした)。イヨマンテの最終段階でも、熊の精霊が帰ってゆく道筋が示され、父と母のいる精霊世界が立ち現れてきますので、構造としては「指路」に酷似しています。やはりアニミズム世界においては、人も動物も基本的に同じ葬法によって送られ、霊のるつぼともいうべき同じ冥界にゆくものと考えていいようです。