史料5の鹿ですが、単純に実りを害していたのは鹿ではないかと思ってしまうのですが…。 / 肉・皮を得るのに動物の許しを乞うのは分かりますが、なぜ稲を収穫するのに動物との契約が必要なのでしょう? / そもそも、なぜ鹿と農耕とは結びつくと考えられていたのでしょうか?

まず列島の場合には、古代から現代に至るまで農耕と狩猟が密接に結びついていたことが挙げられます。農耕による収穫を順当に得るためには、それを食べに来る「害獣」を排除しなければなりません。それゆえに、狩猟と農耕とがセットに行われるようになり、春先の狩猟が農耕予祝儀礼のように位置づけられました。また鹿は、特徴である角が樹木のようにみなされたこと、早春に落ちて新しい角へ生え替わることから、稲の成長と関連付けて認識されたようです。鹿の狩猟は稲の収穫とイコールで結びつき、豊猟は豊穣を意味したのかも分かりません。鹿との契約も、本来は鹿を稲の精霊、あるいは大地の精霊に見立てて想像されたのでしょう。