宮子称号問題の際、「大夫人」から「皇太夫人」に変えられたのがどうして問題なのか分かりません。後者の方が格上なので、藤原氏とってはよかったのではないでしょうか。

確かに、表面的にはそうみえます。しかしここでは、一度発せられれば撤回はありえない(綸言汗の如し)とされる天子の命令が覆され、取り消されたことが問題なのです。また、制度を超越する存在として律令にも規定されなかった天皇天皇の権威・権力についての規定は条文化されていない)が、結局律令の規定を遵守せざるをえなかった点でも重要です。宮子を「大夫人」とすることは勅によって発令されていますが、勅は発布に際し議政官(大臣・大納言・中納言・参議)の同意を必要としません。恐らくは聖武ミウチの藤原氏との相談のうえで発した命令に、長屋王を首班とする議政官が異議を申し立てたのでしょう。これに対して出された勅を撤回する命令は、議政官が同意し署名した文書で発布される詔の形式を採っています。律令の規定を、天皇の意志よりも上とみるか下とみるか。これもまた、律令厳密主義と現実主義の対立の表面化なのです。