長屋王邸木簡の「長屋親王」表記の理由について、吉備内親王の夫であることを挙げていましたが、その彼女が「吉備王子」となっているのはなぜでしょう。森公章氏の著作では表記の揺れと解釈されていましたが、それでよいのでしょうか。

確かに、「長屋親王」の方を重視して長屋王の地位の相対的上昇を語りながら、「吉備王子」を表記の揺れで片付けるのは安易かも知れません。しかし、ヤマト言葉をいかなる漢字表記で表すのかという点については、奈良時代前半にかなりの振れ幅があることは確かです。また、律令制的な用字についても、100%遵守された時期はありませんでした。長屋王については系図的に「王」でありながら、木簡の他にも『日本霊異記』で「親王」と表記されていること、吉備内親王系図的に「内親王」であることは明らかで、「王子」としているのは木簡1点のみであること。それらの点から総合的に考えて、森説を支持してもよいだろうと思います。