藤原氏は多くの人物を傘下にしていたようですが、一方で藤原氏と同等の力を持った氏族はどれほどいたのでしょうか。 / 大伴氏と阿倍氏はなぜ長屋王の変に積極的に関与しなかったのでしょうか。

藤原氏政治勢力に匹敵しえたのは、議政官クラスでは、やはり大伴氏や阿倍氏でしょう。ともに軍事関係に明るく、擬制的な同族関係を結んだり、職務を通じて傘下に入った氏族は非常に多かったと考えられます。彼らは、朝廷という支配者集団と自氏族を安定的情況に置くため、互いに姻戚関係を結んでもいました。阿倍氏長屋王ばかりでなく、武智麻呂にも娘を嫁がせており、大伴氏も不比等の娘を夫人に迎えているほか、旅人の妹(家持の叔母)坂上郎女は麻呂と恋愛関係にあったと考えられています。有力氏族たちは、濃厚なミウチ的関係のなかで、過度な軋轢が生じるのを抑止しようとしたのでしょう。大伴氏や阿倍氏長屋王との関係も深く、彼を排除するという「取り決め」には同意したものの、積極的な関与はせず藤原氏を牽制したのかも知れません。