高校では、「皇族が太政大臣になると知太政官事になる」と習ったのですが、二つは違うものなのですか。

やはり厳密には異なります。まず太政大臣は大宝令・養老令に規定のある令制官司ですが、知太政官事は律令に規定のない令外官です。慶雲3年(706)には、右大臣に準じて季禄を支給すると定められているので、待遇的には太政大臣より下となります。また令制前では、天智天皇10年(671)に、大友皇子太政大臣に補任された記録が残っています。この当時本当に「太政大臣」という官職名があったかどうかは不明ですが、それまで中大兄が行っていた有力王子による称制のような機能を継承したのが、太政大臣であるとはいえそうです。しかし、大宝令制に至ってこれが臣下の職と規定されたため、天武の有力皇子を政権に取り込むための役職として知太政官事が置かれたのでしょう。