実際の条里制敷設の際には、どのような技術的困難があったのでしょうか。 / 当時の土地整備の技術はどのようだったのでしょう(分度器もなかったのにどのように直角を測ったのでしょう)。

もちろん、実際の敷設はそれほどスムーズに進んだわけではありませんでした。すでに藤原京平城京などで高度な土地造成、建築技術を駆使していた古代国家ですから、土地区画における技術的困難は大きなものではなかったでしょう。問題は労働力や財源の確保で、不比等の時代には新たな労役制度を設けるなどして対応しますが、武智麻呂は有力農民の間で高揚しつつあった開発熱を利用するわけです。墾田の私有を認めて開墾を後押しすれば、国家は大きな財政的負担を強いられることもなく、また重税による不満を浴びることもありません。同時期、畿内周辺では行基が渡来人集団などに働きかけ、交通施設や灌漑施設を整備して民衆の信望を得ていました。長屋王首班体制は彼を弾圧して平城京外へ追放しますが、武智麻呂政権は行基を公認しその活動を利用してゆくのです。