紀伊国の下に根国があり、出雲国に黄泉国があり、土左国はあの世とされていた…というあたりが混乱してよく分かりませんでした。 / ヨミはどうして「黄泉」と書くのですか?

講義でもお話ししましたが、4〜5世紀の紀ノ川河口には紀水門という外港が置かれており、海外の文物はここからヤマトの中枢部へ流れ込んでゆきました。そのため紀伊周辺は境界視され、異界・他界との接点といったイメージが付与されてゆきます。長屋王が流された土左国には現在でも特殊な民俗信仰が根付いていますし、四国全体にお遍路さんをはじめとする特異な宗教世界が展開しているのも、そのことと無関係ではないでしょう。「木国」に対応して「根国」が置かれたほか、南部の熊野はそれ自体が異界とされ、やがて仏教の聖地として位置づけられてゆきます。南岸から、観音の聖地=補陀落を目指す僧侶たちが船出していったのも、紀伊国が他界との接点に位置するという考えが息づいていたからでしょう。
一方の出雲国は、6〜7世紀に外港が難波津・住吉津に移ったことにより、その向こう側の世界として新たに「黄泉国」の場所に選ばれました。出雲国は弥生期より独自の祭祀文化を有しており、それゆえに境界として相応しいとみなされたのかも分かりません。ちなみに「黄泉」とは中国黄河の地下にある水源で、これをヤマト言葉のヨミと合わせたのが、『古事記』『書紀』に載る「黄泉国」なのです。