無痛文明は、ある意味で「動物の主」にとって代わったのだと思いますが、例えばキリスト教や仏教で行う食前・食後の祈り・感謝の言葉のなかに、発想としては生きているように思います。
そうですね。「祈りの言葉」については、時代的な変遷もありますし、言葉に込められる意味も様々と思いますが、キリスト教・ユダヤ教の基本的な枠組みは、驚くほど動物の主に似ています。やはり元来は遊牧民の宗教で、供犠を根幹にしているからかも分かりません。スコラ哲学などと結びつく過程でその教学的世界は大きく変貌してゆきますが、結局その根幹的な部分が在地の民俗信仰とも共振し、アニミズム的なもの、シャーマニズム的なものを内に抱え込んで定着してゆくことになるのでしょう。キリスト教は自然との関係、アニミズムとの関係においては「破壊者」と位置づけられることが多いですが、破壊一辺倒ではヨーロッパに根づくことはできなかったと思います。