なぜ女帝の存在が認められているのに、女性皇太子は問題視されたのでしょう。男尊女卑の思想は仏教が入ってきてからですか。 / 安積親王を皇太子にするという話はなかったのでしょうか。

女性の皇位継承はもちろん先例がありますし、母系継承も律令では認められていました。しかし、王位継承が大王・天皇の「男子」を優先に行われたことは間違いありませんし、皇太子は、天皇の死後における継承の混乱を予め回避するために創出された地位ですので、歴史が浅いとはいえ、やはり男性が望ましいとの認識が強かったのでしょう。女性皇太子の地位の不安定さは、必ずしも仏教のせいではありません。また安積親王については、立太子の可能性がまったくなかったわけではないと思います。県犬養広刀自が斎王腹として位置づけられていたとしても、とくに阿倍皇太子の即位以降は、未婚である彼女の養子になって次世代の皇位継承者となる選択肢は充分にありました。しかし、草壁皇統と藤原氏とのミウチ的関係においては、聖武・光明の嫡系の流れを構築するためにも、その子孫を一度は即位させておく必要があったのでしょう。