唐は安史の乱などによって衰退してゆきますが、中国を模倣していた日本が独自の路線へ切り替えることになった一番の契機は何でしょうか。
やはり菅原道真による遣唐使の派遣停止が大きいのでしょうが、注意しなければならないのは、その後も中国文化の摂取と消化は続けられていたということです。例えば国風文化は、「遣唐使停止によって醸成された列島独自の文化の萌芽である」との位置づけが一般的ですが、事物・文献の双方に渡って中国文化が尊重されていました。『源氏物語』の内部にも様々な舶来品が登場し、当時の貴族の日常生活がいかに唐物文化に囲まれていたかを示してくれますし、白楽天をはじめとする漢詩文化の影響力も計り知れないほどでした。この傾向は中世になっても基本的に変わりませんので、果たして「独自の路線」へ踏み出したといえるのかどうかは難しいところです。