『捜神記』を読む際、中国哲学との関連もあると思うのですが、今日掲示されていた史料では、それがあまり見受けられませんでした。基層部分に哲学は広がったのでしょうか。

『捜神記』に収められているような伝説・説話は、中国哲学的に高度なものはあまりみられません。ただし、講義でお話ししたように五行志と密接な繋がりを持っていますので、陰陽・五行思想を反映する部分は多くあります。その前提として、戦国末期には集成されていた易の思想の広がりをみることもできます。著者の干宝は史官ですから、歴史という学問の背景にある卜占の知識(五行や讖緯思想も含む)、神話の知識にも精通していたと考えていいでしょう。