地獄には十王裁判があるとのことですが、現在では閻魔が一人で裁いている印象が強いと思います。いつから閻魔が突出して認識されるようになったのでしょう。 / 十王図のうち、閻魔以外の図が日本で描かれたことはあったのでしょうか。

下記に述べるように、十王のうち最も歴史が古いのが閻魔王でしたので、この神格は早くから重視され、単独で描かれることも多い存在でした。中国的官僚化の進んだ十王裁判は、閻魔王単独の信仰が変化したもの、もしくは単独の信仰へ変化したというわけではなく、併行して行われたと考えていいでしょう。同志社大学の竹居明男さんが現存六道絵・地獄絵の遺品目録を作成していますが、十王図も近世に至るまで60に及ぶ作品が残っています。それらは根本となる絵画によって幾つかの系統へ分けられますが、やはり『法苑珠林』などの中国仏教類書に載る地獄説話、その種のものを受け継いで作られた『三宝感応要略録』の地獄説話など、いずれも中国の物語をモチーフとすることが多いようです。