『捜神記』などで異人が怪物として扱われていましたが、これは日本の妖怪である山姥などとは違うものなのでしょうか。

山姥には、縄文期からある程度の信仰が確認できる「大地母神」のイメージが残存している、という考え方があります。確かに、図像的には乳房が強調されており土偶を連想させるところもありますし、金太郎伝説をはじめ子供を育てるエピソードが多いのも重要でしょう。単なる妖怪ではなく、山の神の一種とみることができます。一方の『捜神記』には、神的なイメージはまったくないとはいえないものの、やはり漢民族的視点からのオリエンタリズムが先に立っているようです。神というよりも、文化の届かない生活をしている異種族というイメージが強いようです。