『山海経』で描かれている周辺世界には鳳凰らしきものもいるようですが、それは周辺を必ずしも野蛮視せず、信仰の対象ともしていたということでしょうか?

確かに、龍や鳳凰などは神的な動物とされていながら、中原からみた周辺世界に住むとされていました。しかしそれは、人里離れた深山幽谷の清浄な地に住むという意味で、周辺世界の差別化とは少々別レベルの意味づけだったのでしょう。ただし、前近代の分類とはまず人の集団を単位に行われるものなので(デュルケーム)、周辺の人民を夷狄とみなすほどにはその空間自体を差別化はしていなかったといえるかも知れません。