行基を公認する段になって、例えば不比等や長屋王の折に問題とされたようなことは解決していたのでしょうか。

行基集団を考える際、都市における大規模な乞食行を主要な活動として弾圧を受けたものを第一次集団、畿内各地で社会福祉事業を展開したものを第二次集団と捉える立場があります。両者は活動の内容はもちろん、集団の構造や組織性においても大きく異なっていました。前者はそのなかに大量の貧窮者を抱え込み膨張傾向にあったため、無秩序で混乱した様相を呈していましたが、後者は交通施設や灌漑施設の造営を組織的・計画的に遂行するため、教団としての役割分担や命令系統が明確に整備されていたと考えられています。その意味で、不比等長屋王が指弾した集団のあり方自体は、多く「改善」されていたといえるでしょう。