ノリワラが神様の言葉を代弁するというのがありましたが、かなりカルト的なものだと感じました。村の人たちは、本気で信じてやっていたのでしょうか。

必ずしもカルト的とはいえません。なぜなら、あのような神懸かりが、太古から列島に受け継がれてきた祭祀の中核的部分だからです。近現代の世の中になって、村人のなかにはその意味、価値を信じていない人もいるかも知れませんが、それが命脈を保っているということ自体、否定はされていないことを表しています。シャーマニズムは宗教の極めて基礎的な部分を形作っていますので、それを否定する我々現代人の方が、人類の歴史からすると極めて特殊で異質なのだと思います。