いろいろ認識を新たにしましたが、それでもやはり供養は生きている人間に対してのもの、という印象は拭えません。

重要な指摘です。原始仏教などはむしろ、宗教は生きている者のためにあると割り切ってしまっており、死後の世界について考えることなどは奨励しません。東の端まで伝わってきたその仏教が、極めて死と密接に関わる様相を呈しているのは、東アジア世界の宗教に対する位置づけの反映なのでしょう。私たちの先祖が、私たち自身が、そのように変容することを仏教に期待したのです。そうした意味でも、供養とは生者のためのものなのです。