行基が大仏造営に協力したのは国家による偽りかも知れないとのことですが、そのようなことをして国家の側には何かメリットがあったのでしょうか。 / 『続日本紀』という書物の信憑性に疑問を持ちました。史料としてどの程度信用できるのでしょうか。

当時、正史は国家が管理していましたので、後代に正統性をもって受け継がれてゆく史料は、圧倒的に国家の関連のものが多かったわけです。そこに「行基が大仏造営に協力した」と書かれていれば、その真実性は極めて強く受け継がれてゆきます。すなわち、民衆救済に尽くした高僧行基聖武の事業に協力したのだという物語が作られれば、それだけ聖武朝の聖代としての価値、東大寺大仏の神聖性は高まります。事実、現在でも、一般的に大仏と行基は結びつけて語られますので、『続日本紀』編纂者たち(もしくはそれ以前の記録者たち)の思惑は成功したといえるでしょう。
ちなみに『続日本紀』の史料性は、前代の『日本書紀』に比べれば圧倒的に信頼がおけるわけですが、それでも史料批判が必要なことはいうまでもありません。それはこの書物が、あくまで国家の、支配層の立場から書かれ編纂されたものだからです。またその支配層のなかでさえ、時間経過による歴史観の相違があり、その相違がそのまま史書にも反映する場合があります。『続日本紀』の編纂は桓武朝に行われたので、とうぜん奈良王朝、とくに称徳朝などへのものの見方は批判的になります。そのあたりに注意しながら読解することが必要でしょう。