国家に弾圧されながら民衆救済を行って、行基の側には何かメリットがあったのでしょうか。

そこは宗教的実践ですので、行基の信仰においては充分意味があったということでしょう。彼の思想的根拠についてはさまざまな議論がありますが、他者の救済のために尽くすという姿勢は大乗仏教の究極的理想ですし、そうした善行が自らの覚り、救済に結びつくという福田思想もありました。単にメリット、デメリットという観点では理解できない、信仰の領域の問題だったと考えられます。