良弁の出自が諸説あるなかで、どうして相模国説に特定できたのでしょう。

詳しくは、拙稿「良弁の出自と近江国における活動」上(『芸林』46-2、1997年)を参照していただきたいのですが、良弁の出自には、大別してa)相模国・漆部氏説、b)相模国百済氏説、c)近江国百済氏説の3種があります。それぞれ典拠となる文献を精査してゆきますと、百済氏説は、もともと「百済学生」とあった記述が誤まって伝わったもの、近江説は活動の場と出生の場を混同したものであることが分かります。残ったa)は、良弁と活動時期を同じくし、東大寺とも関係の深かった漆部直伊波の出身地・出身氏族であることもあって、最も蓋然性の高い説ということになります。