当時の朝廷が仏教を重視していたのは分かりましたが、神道に対してはどうだったのでしょう。 / 仏教国家建設のなかで、神道側の反応はどんなものだったのでしょう。

当時はまだ、「神道」なるものは存在していません。共同体祭祀を国家が天皇神祇官のもとに体系化した天神地祇、それを運営する神官の制度があったに過ぎません。当時の主要神社は、宇佐八幡宮が行った「天下の諸神を率いて大仏造営を助ける」という護法善神宣言をはじめとして、おおむね仏教国家政策に協力的でした。伊勢神宮鹿島神宮などでも、仏教の力で神を喜ばせる神宮寺が建設され、神前読経などを年中行事としてゆきます。伊勢神宮では、称徳の崩御後に神宮寺を撤去しましたが、大部分の神社では、明治の廃仏毀釈に至るまで神仏混淆の状態が続いてゆきます。