憑坐と審神者のユニットにおいては、どちらが重要とされたのでしょうか。

やはり説得的な物語を生み出すためには、プロデューサー・演出家としての審神者が重要でしょう。彼がいなければトランスも意味をなしませんし、憑坐はただの変人、もしくは病者として社会から排除されてしまいます。しかし、憑坐のトランスが真実味を持たなければ審神者の技術も冴えませんので、結局は両者の相乗効果が大事ということになるでしょう。