『宇治拾遺物語』で、藤原良房が兵衛府のある朔平門に行っていますが、大内裏図には他にも兵衛府の建物がみえます。別々のものなのでしょうか。

朔平門には、兵衛の詰所としての北の陣があるということです。殷富門の南にある右兵衛府は役所の建物なので、単なる詰所ではなく、機関としての兵衛府を運営するための事務機構なども置かれています。