応天「門」という境界を焼くということは、何か深い意味があったのでしょうか。

何者かによって放火されたのだとすれば、その放火という行為、あるいはその焼失という現象自体に、古代的な意味が付与された可能性はあります。中世史の特講をお願いしている中澤克昭先生にも、「自焼没落とその後―住宅焼却と竹木切払」(『中世の武力と城郭』)という興味深い論文がありますので参照してみてください。ちなみに私は、建築物を構成している樹霊を精霊の世界へ送る「家送り」との関連を考えています。唐突かも知れませんが、当時の建築物の構築方法・祭儀との関係を考えると、あながちトンデモ説とはいえないのですよ。『延喜式』の祝詞に載せられている、「大殿祭」や「御門祭」のくだりを読んでみてください。