彩色の剥落は指を指すなどの行為の結果であると学びましたが、このような絵巻はどう保存されていたのですか?誰もが簡単に閲覧できたのでしょうか。

後白河のサロンで作成された絵巻の場合は、やはり彼らが読むべきものだったと思われます。当該サロンのなか、一人もしくは複数で語らいながら読まれたのでしょう。指さしなどが行われたとすればその折のもので、そこから傷みが進み、湿気や経年変化にさらされるなかで、中心的に剥落が起こっていったのでしょう。黒田泰男説のような事情があったとすれば、それはかなり早い段階での読まれ方で、福井の酒井家や新八幡宮に渡ってからの読まれ方ではないと思われます。伝来の後半段階ではとくに宝物的扱いとなり、あまり読まれることもなかったでしょう。