老婆の履いた高下駄は排泄のためのもの、との説がありましたが、当時の民衆たちはどこで排泄をしていたのでしょうか?

公的場所である往来では憚られたでしょうが、少し外れた野原や通りの隅では普通に排泄がなされていました。水路にも様々な汚物が廃棄されていましたし、人や獣の死体が通りに打ち捨てられていることもあったので、平安京の悪臭は大変なものであったと思われます。ちなみに『餓鬼草紙』には、道端で糞尿を排泄している女性や子どもの周囲に、これを食おうと集まっている餓鬼たちの群れが描かれています。当時の排泄の様子を伝える画像資料ですので、こちらで確認してみて下さい。