インドでは遺体をガンジス川に流しますが、日本では、土葬や火葬にできない人たちが川に流すことはなかったのですか?

平安京の側溝や賀茂川などには、死体が集積されたとの記録が残っています。7世紀末頃には成立したと思われる「大祓祝詞」は、罪や穢れが根こそぎ切り除かれ、川から海へ、そして黄泉国へと送られる文脈になっています。何か日本人の浅薄な環境思想が見え隠れするようですが、川は他界へ通じているとの観念から、あえて死体を川へ流す事例もあったと考えられます。平安から中世にかけての賀茂川は、死臭や腐臭でむせ返るようであり、とても現在のように恋人たちが憩う場所にはなりえなかったと思います。