環状集落の中心に墓地が置かれるようになる、今まで忌避されていた人骨をめぐるこうした心性の変化は、一体何が原因で起きたのでしょうか。関東や東北に多いということも気になります。また、神々と祖先との関係はどのように意識されていたのでしょう。

確定的な説明はできませんが、幾つかの要因が考えられます。ひとつは、旧石器時代の非定住生活から定住生活へ転換したことで、これまで置き去りにされていた遺体への意識が高まったことが挙げられます。集落の近辺に死体が集積されてゆくことは、そのまま過去の人々の存在を介し、歴史意識が強まってくることに繋がります。集落へ結集した血族が多い分だけ、その歴史意識は集合的なものとなるでしょう。また、自然環境へ働きかける人間の力が強くなるとともに、死と再生のサイクルへ一体化しようとする意識も高まっていったことも要因のひとつでしょう。複数の遺体が埋葬された墓穴のなかには、その人骨自体が円環を描くように配置されたものもあります。これらは死者の再生を願ったものでしょう(死者そのものが生き返るというより、その生命が再び人として生まれてくること)。そういう意味では、円環に配置された祖先たちは、それを取り巻くように住む環状集落の住民自身なのだといえるかも知れません。このような幾つかの事象がだんだんと進行してゆくことで環状集落、ストーンサークルが出現してゆくのであり、ある時期に突然大きな転換が起きるということではないと思います。