いざなぎ流も納西族のトンパも神を祀るものと思いますが、陰陽道は神を操ります。なぜそうしたことが公に認められていたのでしょう。不遜ではなかったのでしょうか。

神を使役するという発想や技術は、日本の神祇信仰のなかにもみられます。祭祀氏族であった忌部氏の担う大殿祭においては、天皇の日常的に起居する宮殿=大殿を保護する屋船命が祀られますが、忌部氏はこれを「汝」と呼び誉めそやしながら使役するのです。こうした発想は、中国で5〜6世紀に体系化されてくる道教の思想が、儒教や仏教を介して流入したものとみられます。陰陽道はもちろん、いざなぎ流やトンパ教も道教の影響を受けていますので、やはり神霊を使役する文化がみられます(いざなぎ流には「式王子」という、陰陽道式神に当たる神霊が存在します)。こうした傾向は仏教にもあって、有名なところでは、護法童子というまさに式神のような護持神が、高僧によって使役される例が確認できます。「不遜」どころか、古代においては特殊な発想ではなかったんですね。