神と、神を媒介するものとの区別はなされていたのでしょうか。目に見える神を作り上げることで、人々の心は安らいだのでしょうか。

殷代も晩期になってきますと、王が「帝」を名乗り始めます。これは神と自身を同一化しようとしたのかも分かりませんが、後に殷が滅ぼされ、続く周王朝では「帝」を自称しなかったことからすると、当時一般の認識としては抵抗が大きい行為だったのでしょう。ちなみに殷代の至上神であった上帝は、恐らく偶像では表現されていません。人間の想像力さえをも拒絶する神格だったと思われます。