熱卜は、太占と同じと考えてよいのでしょうか。 / どういう理由で、弥生の鹿卜が古墳の亀卜へ移り変わったのですか。

太占は鹿の肩胛骨を使った熱卜ですね。弥生時代の鹿に対する信仰に基づき、恐らくは稲作の豊作を願う卜占に鹿を使用したものと思われます。しかしさらに広い視野で考えてみますと、熱卜の始まった中国では狩猟採集社会には鹿を、牧畜開始以降は羊、牛、豕を材料に用いていますが、殷代になって牛や亀を中心に行うようになっても、山東半島など東方地域では鹿卜が続けられていたようです。朝鮮半島からも鹿の卜骨が出土していますので、日本の太占もそれとの関連で位置づけるべきものでしょう。なお、亀卜は古墳時代に始まりますが、甲骨の出土地域は、壱岐対馬南関東海岸部に集中しています。中国では殷代以来亀卜が最上の卜占法であり、5〜6世紀には六朝期の亀卜書が伝来、それを担う卜部も編成されました。律令国家は鹿卜より亀卜を高尚と定めていますので、以降亀卜が重視されるようになるのでしょう。