東大の坂村健教授が「尊敬本意社会」の提言をしていますが、歴史学者としてどのように思われますか?

日本列島に限らず、いわゆる国家以前の共同体社会は、何らかの形で尊敬本意社会の特色は持っていたと思います。自らの衣食住の存在になる動植物にも、自然現象にも、もちろん共同体を構成する人々にも尊敬をもって接する。それが人間どうしの不要な競争や対立を抑止し、過剰な自然からの搾取、環境破壊をも抑制する鍵となる。しかし、そうしたエデンのようなユートピアは、人類の歴史上一度も存在したことはありませんでした。理想型としては賛同しますが、今後も実現はできないでしょう。これまでの歴史に照らしてみると、人間は自分自身が生きてゆくうえで好適な環境を破壊してまでその欲望を達成しようとする、生物としては極めてイビツな性向を持っています。それを抑制しようとすれば何らかの規制力が必要になってきますが、そうすると人間社会自体が活力を失ったり、マイナスのエネルギーがより蓄積されてゆく事態になりかねません。歴史学者としては、そうした理想的提言に一定の賛意を表しつつ、その「人間のいびつさ」を解明することに勢力を注ぐべきだと考えています。