戦闘具としての武器形青銅器が象徴的なものへ変化したというのは、何か社会に変化が起きたのでしょうか。 / B.C.1cの頃よりA.D.2cの頃の方が、青銅器の分布が銅矛と銅鐸にはっきり分かれるようになったのはなぜですか。

象徴的なものへ展開していったとしても、やはり武器は武器ですので、それ自体が何か社会の変化を反映しているわけではありません。上の回答でも書いたように、武器の本質は辟邪性です。それゆえに神聖視され、共同体のシンボルとなっているので、例えば銅矛を祭器とする北九州を中心とするグループが、銅鐸を祭器とする近畿・東海のグループより好戦的であるとか、そうした二項対立的把握もできないでしょう。また、青銅器の象徴化の過程は、そのまま小集団が離合集散し巨大な政治的グループへ収斂してゆく過程と対応しています。恐らく、多様な青銅器をシンボルとする小集団が興廃することで青銅器全体の種類量は減少し、それらを包括する青銅器は滅びた青銅器の諸特徴をカバーすべく、より巨大で抽象的な携帯へ変質してゆくのでしょう。