占いが王のものから一般に普及していったのはいつのことなのでしょう。またその際、恐れや抵抗のようなものはなかったのでしょうか。

これから扱ってゆきますが、戦国時代の末には一般化が始まって、卜占を専門に請け負う民間の集団が存在したようです。彼らの活躍は、近年の戦国竹簡史料の発掘でようやく分かってきましたが、秦や楚といった国の貴族たちがクライアントになって彼らを雇い、自分の健康状態や未来について卜占させていたようですね。比較しうるものがあまりないので不明な点も多いのですが、彼らは亀から易から様々な卜占の道具を持ち、その専門家を抱えていて、クライアントのニーズに対応した多様な活動をしていたようですね。その卜占の記録が竹簡となって、クライアントの墓から出てきているのです。殷や周の段階でも扱った「保管」の問題が、ここでも絡んできます。なぜクライアントは、卜占の記録などを墓内に納めさせたのでしょうか。やはりその内容自体が極めて呪術的な意味を持つため、他人の目に触れるのは禁忌となっていたのかも知れませんね。