古墳は、被葬者をカミとして再生させる舞台だとの説があるとのことですが、すると古墳の数だけカミがいるということでしょうか。 / 中国の神仙思想が将来されていたとすると、当時の日本における「霊」や「祖先」を祀る思想と区別されていたのでしょうか、それとも習合していたのですか。

古代日本はアニミズム、パンセイズムの宗教情況にあったと思われますので、カミが複数存在するという事態はまったく不思議ではありません。問題はむしろ、人がカミになるという情況がどのように承認されたかが問題です。上記の説を唱える人たちは、どうも前後の時代との繋がりを軽視しているようですが、例えば歴史時代に入ってしまうと、人がカミとして崇拝されるのは御霊信仰の発生を待たねばなりませんでした。8世紀の初めに1件のみ記録がありますが、北九州での事例で、中国思想に依拠した特殊例であろうと考えられています。天皇が「現御神」の立場を確立するのも、天武・持統朝におけるさまざまな政治的・文化的施策を必要としたのです。人が神仙になる中国思想を導入し、それをステップボードにしたとしても、その考え方が被支配層に受け入れられるまで浸透したかどうかは問題です。私自身は、古墳は他界への通路・祭壇であって、他界において神霊となった前首長による共同体の守護を祈願する機能を持っていたと考えています。現首長は、それと交流しコントロールしうる役割を共同体から承認されていたのでしょう。前首長をカミとして崇めるというより、それに体現された他界そのものを崇めるといった方が適切かも知れません。列島に限らず、アジアには植物も動物も人間も、その本体の生命=精霊は、現世での肉体を失うと魂の原郷=他界へ戻るとの広汎な信仰があったようです。中国の神仙思想も、そうした他界の力をコントロールする最新の知識として導入されたのではないでしょうか。