そもそも、墳頂から造り出しなどへ祭祀の場が移動したのはなぜなのでしょう。

きちんとした説明があるわけではありませんが、私は、前回お話しした「山の神聖視」と同じ情況が起こったのではないかと考えています。すなわち、墳頂が神聖化され「禁足地」になったということです。前期は遺体に強い両義性を認め、崇めると同時に封じ込めてきましたが、中期は、古墳の被葬者を自然神と同質の存在として祭祀する傾向が強くなります。カミの坐す山が禁足地になるように、遺体の埋葬された墳頂にも出入りが制限されるようになったのではないでしょうか。そして、地上の墳丘脇に「遙拝所」としての造出しが設置される…と考えると分かりやすい気がします。