事戸度しなどの詞章については、中国の死者観が日本に伝わったのだと考えてよいのですか。 / 少数民族と日本との関係はどのようなものだったのでしょう。また、紹介された聞き書きと『古事記』とは、時間軸上ではどのような関係にありますか。 / 日本の黄泉国には、よいものも悪いものも同じ場所にゆくと考えられていたのですか。天国や地獄といった観念が生まれてくるのはいつですか。
恐らく、東アジアの極めて基層的な、それゆえに共通性の高い文化要素のひとつなのだと思われます。必ずしも、伝播によってある場所からある場所へ波及したと考えなくてもよいでしょう。私が祭祀の調査に訪れた納西族では、穢れや悪鬼に対しても「指路」を説いて、他界への道を指し示します。すなわち、死者のゆく場所も穢れのゆく場所も、みな同じひとつの「あの世」なのです。このような発想は古代日本の「大祓祝詞」にもみられ、罪や穢れが「根の国底の国」へ祓除されますが、これは黄泉国と重なり合う他界概念です。アイヌのクマ送り祭儀でも、屠られたクマの行く先は父や母の待つ精霊の国なのですが、これも同じ発想だろうと思います。アジアの他界観は、動物や植物、人間といった区別のない魂の原郷であり、そこでは善悪の差異も存在しない。列島においてその考え方が変質してくるのは、王の登場によって階級分化が確立した現実の秩序が他界へも直接的に反映されること、中国のそれを吸収し高度な他界観を持った仏教思想が導入されることによります。