船で死者の国へゆくという発想は、後の「三途の川」などと関わりがあるのでしょうか。

三途の川自体は、仏教と道教、もしくは民間信仰が習合して中国で作られてくる観念なので、日本の古墳時代の「船」とは直結はしません。しかし、そもそも生者の世界と死者の世界との間に川が流れているという発想は、川を何らかの境界と認識する自然観に基づくもので、それは中国に限らず、古墳時代の日本にもあった可能性があります。よって、古墳時代の船と三途の川とは、考え方として通底はしているといえるでしょう。ただし、装飾古墳に描かれた図案が川そのものではなく、船や、また馬などをモチーフにしている点を重視すれば、やはり「人力ではたどり着けない」という移動手段への意識が強く表れているものと考えられます。