日本的"神"の原型が開発(侵略)/神聖(隔離)の二項対立を内包しているのなら、それは多神教のなかにひそむ一神教的なものといえるでしょうか。

鋭いですね。その二項対立が首長権を背景に拡大した場合、他の精霊や神格を何らかの形で排除し、あるいは吸収し従属させてゆくという事態が生じてきます。そうなるとそれは、「多神教のなかの一神教的なもの」となってゆきます。例えば、7〜8世紀にかけて、元来は相互に平等な存在であったはずの神霊世界に人間的な階層秩序が持ち込まれ、「神祇間ヒエラルキー」とでも呼ぶべきものが構築されてきます。首長はその上位神格を自らの守護神とし、下位神格を開発で滅んでゆく自然神にあてて、神殺しの形で開発を進めてゆくのです。その完成された一つの形態が天皇制であり、天神を祖先に据え宗教的権威の根拠とし、一般的自然神に優越する立場を築こうとしたわけです。日本では中世以降、浄土真宗阿弥陀一仏崇拝や日蓮宗の法華一経主義など、「多神教のなかの一神教的なもの」が噴出してきますが、天皇制に帰着する古代の制度的な神祇信仰の流れのなかにも、同様の要素がうかがえると思います。