網野善彦氏の『日本とは何か』を読みましたが、「古代日本の文化は西東に大きく分かれる」とあったものの、自然信仰には言及していませんでした。自然信仰に関して、東西の相違はあるのでしょうか。

難しい問題ではありますね。自然環境に注目しますと、ナラ林文化と照葉樹林文化の相違、それぞれが経てきた歴史的情況の相違ということになるのでしょうが…、実をいいますと、ぼくは列島を東/西で分けて考えるものの見方は充分ではないと思っているのです。列島内のそれぞれの地域が、特徴的な自然環境と密接して固有の文化を築いており、それが東/西という分類に適合的な場合もあれば、その境界を乗り越えた共通性を持つ場合もある。列島文化は東西南北からさまざまな外来文化が流れ込み、それが複雑にからみあい流通しながら現在に至っているので、なかなか分かりやすい整理の仕方はできないように思います。例えば四国の高知県物部村ですが、講義でも紹介したように特異な民俗宗教を展開しており、その送り儀礼や祭壇の作り方などには中国南部の少数民族文化を髣髴とさせるものがあります。送りというものの考え方は、畿内・東海・関東に挟まれて独自の文化的様相を示す諏訪などでも濃厚にみられますし、アイヌイオマンテも送り祭儀の代表的なものといえる…などなど。山岳信仰の多寡、古代神社の多寡などの量的な相違は発見できるでしょうが、それよりも「いくつもの日本」の独自性を大事にしたいところです。