神殺しは、民衆たちを納得させるためではなく、自分たちの葛藤を押さえ込むために用いられたのでしょうか。

両方の意味があるのでしょう。心性史的な観点からすれば、自然神をコントロールしうる権威を生み出すということは、当時の王権・国家において重要な課題であったはずですが、しかし支配者層も古代的価値観の桎梏から自由なわけではない。通常はその点を自覚することもできないわけですが、まったく異なる価値観・世界観が目前に提示されれば、それとの比較のなかで、自らのものの見方を相対化することができます。5〜6世紀の日本列島においては、それが渡来人の語る種々の情報、文物であり、めくるめく漢籍の世界だったのだと思われます。後にお話しするように、この頃の神殺しの言説には漢籍に基づくもの、引き写しに近いようなものもありますが、それは現代的な意味で真似をしているのではなく、中国的な世界を現出させようとしていると位置づけることができます。