1年くらい前に、斉明天皇の墓と思われるものが発見されたと報道されましたが、何をもって「判明」でしたのでしょうか。

牽牛子塚古墳ですね。二つに仕切られた石室が、斉明天皇と娘の間人皇女を合葬したという『書紀』の記述に一致すること、漆・布を交互に塗り固める最高級の「夾紵棺」の破片がみつかっていることなど、情況証拠は多くあります。最も重要な根拠は、これが7世紀後半の天皇墳墓に共通する「八角墳」である点です。八角形が何に由来するのかは、仏教の影響等々諸説あってはっきりしません。しかし、かつて前方後円墳という、大王も連合配下の豪族たちと同一形態の墳墓しか持ちえなかった段階から、初めて王家のみの特別な墳形を持つに至ったことは重要で、やはり「天皇」誕生への階梯と軌一した動きとみるべきでしょう。