聖徳太子の存在について、どうして彼が論争の対象になるのか分かりません。なぜなのですか。 / 先生自身は、聖徳太子についてどのような立場なのですか。

聖徳太子については、『書紀』に載る関係記事に神秘的な事象が多く、前後の記述における蘇我氏の事績を剽窃したように書かれていたり、中国の典籍や仏典によって様々に粉飾されているなど、編纂者の何らかの意図に基づいて「創作」されたと想定される記事が多いのです。また厩戸については生前から聖人として尊崇された形跡もあり、まず7世紀後半には仏教の側から「法王」的な喧伝がなされ、やがて『書紀』を生み出した8世紀の王権にも、そのイメージが政治的に利用されてゆきます。近代国家としての日本が聖徳太子を聖人と位置づけ、歴史教育でも必須項目としてきたのは、近代天皇制を補完するためであるのはもちろん、以上の古代的文脈に基づくものでもあるのです。近年の研究・議論は、そうした聖徳太子のありようを相対化し、史実としての厩戸の姿を明らかにするとともに、彼を聖人化してゆく古代〜近代の政治的言説をも解明してゆこうとするものです。ちなみにぼく自身は、実在説/非実在説のどちらにも与しません。厩戸と呼ばれる王族は実在したとみていますが、その実態より、彼が粉飾されてゆく過程の方に興味を覚えます。