倭や朝鮮半島では使っていた言葉が異なると思うのですが、倭国の使者が中国へ赴いた際、通訳などはいたのでしょうか?

講義のなかでも触れましたが、例えば『宋書』のなかで讃が宋へ派遣したとある司馬の曹達は、名前からして渡来人、恐らくは中国人です。当時の府官制下における文書行政や外交、とくに上表文の作成などに関しては、中国や朝鮮半島からの渡来人に負うところが大きかったと思われます。もちろん、彼らが訳語=通訳の役割も果たしたものでしょう。