ヤマト王権が中国的秩序から自律的に活動しようとしたとき、何か中国から圧力のようなものはなかったのでしょうか。

史料的には確認できませんが、それも上記に触れた中国王朝との遠隔、海の問題が有利に働いたものと思います。中国王朝は辺境の倭について、朝貢してくれば政治的に利用しようとしますが、そうでなければ積極的に関与する意味(余裕?)を見出せなかったのでしょう。彼らにしてみれば、南北朝の緊張関係や隣接する異民族との「共生」が、常に喫緊の外交課題であったはずです。また、元寇時の問題を考えると、やはり朝鮮諸国が大きな壁となっていた点も大きいのでしょうね。