藤原京の復原図において、宮殿が都の中心に配置されていることの意味とは何ですか。

これは、前代の飛鳥京までヤマト王権中華思想的空間表現であった、「王宮の位置する場所こそが世界の中心である」という考え方が持続した結果でしょう。飛鳥では上記の発想のもと、須弥山像や世界樹としての斎槻が立てられました。飛鳥地域の地理的環境を考えても、「天子南面す」という思想自体が充分浸透していない、あるいは意識されていなかったのだと思います。