藤原京の食糧事情、排水施設などはどのようになっていたのですか。

一応は都ですので、全国から物資が集積される流通の中心ですから、食糧事情は悪くなかったはずです。排水施設についても、縦横に水路が巡っていましたので、貴族邸宅などでは水洗のトイレも設置されていました。ただし、これは平城京平安京においてもいえることですが、大小のゴミや呪いの道具、牛馬の死体なども水路へ投下されるので、定期的に清掃が行われなければすぐに詰まってしまい、路上へ汚水が溢れ出すといった事態になりがちであったようです。とくに藤原京が建設された地域は低湿地帯でしたので、夏期など不衛生な状態が続いたのではないかと推測されます。平城京への遷都は政治史的に説明できるのですが、そうしたライフラインの行き詰まりも原因のひとつなのかも知れません。