晏子が占夢を担ったように、そのノウハウは他の官にも共有されていたのでしょうか。

下でも触れますが、占夢の方法自体は巷間にも知られたものがあり、春秋・戦国期には、必ずしも占夢官のみが独占する状態にはなっていないものと思います。ただし『晏子春秋』に記録されたそれは陰陽説を応用していますので、やはり当時としては専門的な占夢官の知識にかかるものであったに違いありません。ただ、『晏子春秋』自体の成立が漢代まで降るとの見解がありますので、同記事のみが古い状態を残しているとはなかなか断定しえません。もしこれを当時の事実とみるなら、晏子が出したアイディアを、占夢官が専門的な知識を用いて言上したと考える方が自然かも知れません。