凶夢を吉夢に変えるということは、夢に力があるのではなく、言葉に力があるということでしょうか?

これまでみてきた殷代の亀卜・骨卜や易筮と同様、解釈の仕方を変えることによって「よりよい未来を選択する」という考え方が貫徹しているのでしょう。甲骨に生じたひび割れ=卜兆や易の六十四卦自体も重要ですが、本当の問題はそれをどう読み解くかにあるわけです。占夢の場合も、単に言葉を変えるというだけではなく、夢に対する考え方そのものを転換することが大事なのです。ただし、それを繰り返すことは、恐らく伝統的に与えられている知識の否定に繋がるので、それは一種の賭けを意味します。成功した場合には新たな知識として受け継がれ、失敗した場合には浅薄な人間の愚行としてマイナスの教訓となってゆくのです。